「いつ、何どき、誰の挑戦でも受ける!!」

とはアントニオ猪木の言葉である。「いつ」と「何時」はおんなじ言葉なのだがくり返してしまうほうがより強調されるのだろうか。
『いつでも誰の挑戦でも受ける!』とやるよりもなんだか名言っぽい。かの長嶋さんと同じ言葉の使い方である。
『いやー。上原の直球、ストレートはね。非常に伸びがあっていいですねー』直球はストレートに決まっているのだが、長嶋さんが言うと妙にはまって聞こえてくるから不思議だ。話がそれた。

コンベンションというのは基本的に、『いつでも誰でも参加可能』というのが望ましい。初心者限定コンベンションとか女子限定コンベンションなどの限定コンベンションは非常に魅力的だとは思うのだが、なにか敷居が高い気がしていったことは無い。もっとも初心者というには経験値を稼ぎすぎているし。女性というには少々胸元がさびしいので参加出来ないというのが現実である。行ってみたところ男子限定コンベンションだったことは何度かあるのだが…。

コンベンションはなるべく敷居を低くして多くの人に出会いたいし。多くの人と一緒にゲームを楽しみたいとモトミヤは思っている。ふらっと☆だいすのイトウさんも同じ考えで。ご入場をご遠慮いただくということは今までになかったのだが。モトミヤは今回初めて、事前のメールでご入場をお断りしてしまった。

『見学をしたいのですが…』と、そのメールは始まっていた。
「TRPGに興味がありやってみたいと思っているのだが、ゲームをしているのを見たこともないので一度どういう風にセッションが行われるのか友達と二人で見学をしたい。」とのことだった。

『どうせコンベンションに来るなら参加してみてはいかがでしょう?』
と返信をしたところ
『初対面の人と一緒にやったことの無いコトをするのは気が進まない、まず予習をさせて欲しい、見学希望ゲームはアリアンロッド。』とのお返事。『見学くらいどってことないじゃないか』とも思ったのだが、丁重にお断りした。

見学を許可することで、この人は有意義な一日を過ごせるかもしれない、TRPGのたのしさを知って、TRPGゲーマーの仲間入りをしてくれるかもしれない。だが 見られるプレイヤーさんはどうなのだろう?TRPGは見せるためのものではない。同じテーブルについた人たちが想像力を働かせて物語を作り上げていくものだ。見せるためのものである演劇だって物語を作り上げていく過程を人に見せたりはしない。『公開稽古』なるものも確かに存在するが、あれは『見せるための練習』である。お芝居を作っている過程を見せる人たちはよほど自分に自信があるか、精神的な露出魔だとモトミヤは思う、

『TRPGがあまり広がらないのは見た目が良く分からないからだ』
コントや芝居のようにプレイをしているところを見てかっこいいものにしていかなければ。コントや芝居まで行かずともせめて将棋やチェスのようにならないだろうか?男たちが鬱々と集まって声色を変えて意味のわからないコトを叫んでいるからいつまで経ってもキモイと思われてしまうのだ。そういう意見をどこかのホームページか本か何かで読んだ記憶がある。これは的外れな意見だと思う。コントや芝居の練習風景だって始めのころは見るに耐えない惨憺たるモノであることが非常に多い。これを人様に見せられるものにしていくから稽古が必要になるのである。作り上げていく部分は人様に見せるようなものではない。

TRPGはお話を作っていく過程を楽しむものである(もちろんそれだけではないが)完成された物語はGMとPLの頭の中である、TRPGは遊ぶもの。見せたり、勉強したりするモンではないと思うわけだが…

皆さんは見学希望の方を受け入れていますか?

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